奄美大島ー大島高校同窓会ー

会長挨拶

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挨 拶

本部安陵会会長 丸田卯禮男(10期生)

maruta-t 奄美は、猛暑到来となりましたが、皆様におかれましては、益々健康でご活躍のことと拝察致します。
まず初めに、九州北部の豪雨災害において犠牲になられた方々や、甚大な被害に遭われた方々へ心から哀悼の意を表すると共に、お見舞を申し上げます。
7月22日(土)、平成29年度本部安陵会総会・懇親会が実施されました。
今年は、群島内8地区の会長をはじめ、関東・関西・鹿児島・沖縄安陵会会長を含め433名が集い盛大に行なわれました。
当番幹事は、24期生・34期生・44期生・54期生の諸君で一所懸命取り組んで頂きました。
毎年、大高の文化祭や体育祭には、多くの会員が訪れ声援を送っておりました。
また、学校では「大高未来塾」や「キャリア教育講演」に毎年卒業生を講師として招き、後輩や先生方から大変好評で、貴重な経験になると感謝されております。
3月の卒業式には、卒業50周年に当たる第18期生が130名も参加し、教育振興基金や本部安陵会の支援として、同窓会と個人(森永敏行医師)から多額のご寄附を頂き感謝しております。 来年3月の卒業式は、第19期生の方々が対象となりますので本部安陵会から代表幹事へ連絡致します。
また、毎年各期の同窓生は、全国同窓会や賀寿の祝がなされており、絆を直一層深めております。
今後も、本部安陵会の充実を計り、努力して参りますので皆様方の温かいご支援とお力添えをよろしくお願い致しまして挨拶とします。

写真:毎年、語学研修費をご寄附頂いている、久保末一様(11回卒)と共に

奄美の偉大な教育者 龍野定一先生と奥田愛正先生に学ぶ

龍郷町立戸口小学校 校長の晨原弘久(27回卒)さんから2017年8月に頂きました。

大島高等学校正門横に龍野定一元校長と奥田愛正元校長の胸像が並んでいる。
「郷土の先人に学ぶ第4集」と,龍野先生著「厳訓無処罰の教育」によれば,龍野先生は,明治22年徳之島亀津に生まれる。亀津尋常小学校高等科を首席で卒業後,当時の鹿児島二中に進学。在学5年間を首席で通し,「月謝免除」の恩典を受ける。そして広島高等師範学校に進学,ここでも文武両道で勉学に励みつつ剣道教師の免許も取得する。卒業後,県内外の教育職を歴任し,大正13年に旧制大島中学校(現・大島高校)に若干35歳にして4代目校長となる。
当時,学力低迷もさることながら生徒指導の問題等で窮地にあった学校の再建を託されての大抜擢だった。龍野先生はまず,教育理念である「厳訓無処罰」を生徒らに宣言し,その達成に懐疑的な教師らを説得し,幾多の困難な事案に率先して対応していった。そして,生徒に「和親」の心を説きつつ,勤労奉仕(プール造成など)・生徒会自治会結成・親の会結成などを着々と推進した。また,生徒全員に運動競技を奨励し,血気盛んな行動を心身の鍛練に向けさせた。さらに図書室を新設し,生徒の学力向上に努め,当時の「荒れた大島中学校」を見事に再建し,その後の奄美の教育の礎を築いたのである。
この偉大な龍野定一先生が,なんと,私が勤務する戸口小校区の教育的風土醸成に多大なご指導を賜っていたのである。
戸口在住の重田シオリ氏(元・小学校教諭)や校区民の話によれば,大正末期から昭和初期にかけて,戸口では土曜日の夜学講座に,度々この龍野先生を招聘して講話をしていただいたとのこと。当時の戸口・名瀬間3里の山道を集落有志が馬をひき,送迎していたとのこと。そして,講話の主な内容は,
「毎晩の飲酒をひかえよ。」「テーチ木を植え,大島紬を盛んにせよ。」「各家庭で養豚に励み,子どもの学資にせよ。」「貧しくても子どもには学問をさせよ。」
だったとのこと。向学心向上心の強かった当時の青壮年達は,昼間の労働の疲れも忘れ,一心に耳を傾けて,人づくり村づくりに情熱を燃やし,その後の偉大な先人輩出の基盤となったとのことである。
その後も龍野先生は,昭和30年代にも度々戸口を訪れ,親交の深かった方々との懇談の中で,「教育者は,魂の似ている者を弟子にする。」と熱く語ったそうである。それが次に述べる奥田愛正先生のことかと拝察する次第である。

この,龍野先生とともに大島中学再建の一翼を担ったのが,奥田愛正先生である。前述の「郷土の先人に学ぶ」によれば,奥田先生は,明治36年大和村大棚に生まれる。大棚尋常小学校を卒業後,旧制大島中学へ進学する。大棚校区から大島中学への進学は初めての快挙だった。大島中学でも成績優秀で,特に数学と理科の成績は抜群だった。また,当時の大島中学の運動会は応援団や多彩な種目で多くの観客でにぎわう行事だった。そこで愛正選手は,大股で跳躍するようなダイナミックな走法で会場をわかし,いつしか「愛正走り」と後世まで語り草になった。その後,東京医学専門学校に進学するが,家の事情で東京高等師範学校へ進み,大正14年卒業,三重県立志摩水産学校の数学教師となる。
当時,旧制大島中学の再建のためには,郷土愛・教育愛の深い教師が必要だと考えた龍野校長は,何度も三重まで出向き,奥田先生に「愛正,島に帰ってこい。二人で大島中学を再建しよう。」と母校で教壇に立つことを説得する。この熱意に心動かされ,奥田先生は大正14年12月に大島中学に転勤する。
奥田先生の授業は,明瞭で熱気にあふれ,誰一人私語をする者はいなかったという。そして,進路指導担当として,当時苦学生の多い中,夜な夜な受験生の家を回り,激励し,時には私的に学資の面倒を見てくれることもあったという。また,当時の大島中学の名物行事である立神往復遠泳には,先頭に立って生徒らと泳いでいたという。まさに熱血先生で,生徒たちは,尊敬信頼の気持ちを込めて「愛正ムィー(ムィーは兄の意味)」と呼んでいたとのこと。そして,この熱血指導で大島中学は県下でも5本の指に数えられる有名中学へ変貌していったのである。
昭和19年,奥田先生は同校の教頭となる。しかし,時代は太平洋戦争まっただ中で,米軍の空襲で校舎に火がつくこともしばしばで,その度に奥田先生は危険を顧みず,先頭に立って消火し,校舎を守ったとのことである。
昭和21年,奥田先生は同校の校長となる。当時,戦後の米軍統治下で混乱貧窮する苦学生達のため,寄宿舎や食糧確保に奔走し,また,同校に教員養成の専攻科を設けるなど,郷土の教育振興にも尽力したのである。
校長職辞任後も,奄美で教育職の要職を歴任し,やがて大島高校卒業生の全国組織である「安陵会」結成に尽力する。胸像の碑文に次の一文がある。「先生の高潔な人格と深い郷土愛,母校愛,同窓愛の精神は,安陵会員の誇りとするところである。」と。

私の勤務する戸口小学校校長室には,龍野定一先生の書が掲げられている。「子供は親と教師の愛情に生き,愛情に育つもの・・・」で始まる達筆の長文で,先生の教育愛がひしひしと伝わってくる。毎日,仰ぎ見て拝読しているところである。
元大和村教育長・元奄美水泳連盟会長である永田世史氏(大和村在住)の話によれば,龍野先生が以前,永田氏(当時徳之島町立亀津中教諭)にプール造成のいきさつを語るには,「当時、大島中学を卒業して鹿児島以北に進学就職する者には早世が多く,台湾などに渡る者は長寿が多かった。そこで,全校生徒を動員してプールを造成し,水泳で寒さに負けない健康な体に鍛えようと考えた。」とのこと。
そして,奥田愛正先生は,私の郷里・大和村の大先輩であり,母校・大島高校の大先輩でもあり,そして私が所属する奄美水泳連盟の初代会長でもある。奄美水泳連盟が創設されたのは昭和31年。前述の永田氏が語るには,旧制大島中学・大島高校で水泳に励んだ方々が,「奄美の水泳発展のために組織として活動しよう。その会長は,龍野先生と共にプール造成に関わり,先生の意志を継ぎ,奄美教育界の第一人者である奥田愛正先生が最適任者である。」と,全員で推挙し,会長就任を要請したところ,「奄美の教育発展のためならば」と快諾して下さったとのことである。そして,長年,水泳の普及と幾多の水泳指導者の育成に尽力されたとのことである。
実は,私は大島高校水泳部OBである。龍野先生と奥田先生に直接お会いしたことはないが,少なからずお二人のご功績の恩恵に授かっているわけである。このお二人との奇遇なご縁に感謝し,また,お二人の偉大なご功績に尊敬感謝申し上げ,所用で大島高校におじゃまする度に,お二人の胸像に深々と最敬礼である。

写真:龍野定一 元校長 ・ 奥田愛正 元校長

写真:戸口小学校校長室に掲示してある龍野先生の書です。

写真:大島高校正門近く「校訓の由来」碑
大正13年の龍野先生の講話から

「和親・協同・自治・奉仕」について熱く詳しく語っています。

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